阿波連さんははかれないが黒枠なのはなぜ?回想シーン?別視点?

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どうも!日曜日のジャンプラは4番目に好きな管理人のジャモージさんです。

水あさと先生の漫画「阿波連さんははかれない」おもしろいですよね。

4月からはアニメが始まるという事で1話からちょくちょく見返しているんですが、

137話を読んでいた時に感じた違和感の正体に気づいたんです。

「阿波連さんははかれない」は1話からずっと黒枠(ふちが黒塗りされている)だったんですね。

みんな気づいてたっぽいですけど私は全然気づきませんでした(*´ω`)w

漫画では「回想シーン」でよく黒枠演出が使われますが、

「阿波連さんははかれない」が黒枠だったのはずっと回想シーンだったからなのでしょうか?

それとも別の演出だったのでしょうか?

一応連載当時から毎週欠かさずに読んできた私が考察してみましたので早速どうぞ!

(140話読み終えての追記が「おわりに」にありますので、よろしければ最後までどうぞm(__)m)

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阿波連さんははかれないが黒枠なのはなぜ?

『阿波連さんははかれない』が黒枠なのは、

回想シーン説
別視点説

があります。

回想シーン説

前述のように漫画ではよく回想シーンに黒枠の表現が使われます。

なので1話から白枠になるまで、ずっと回想シーンだったと考えても問題ないような気がします。

実際黒枠から白枠に切り替わったシーンは、136話の阿波連さんが自宅のパソコンで何かを作成し「よし 間に合った」というシーンでした。

これまでのすべての話は阿波連さんがアルバムか何かを作る際に、1話からの思い出を思い返しているんじゃないかと…

ミスリードされてるんじゃないでしょうか(;´Д`)

文化祭前日の深夜まで何かを作成していることから文化祭用のアルバムと仮定しますが、「阿波連さんははかれない」は1年生の時からの話ですよね?

今回の文化祭は3年生の話なので、1年生の時から回想して何かを作るっていうのは少し矛盾しているような気がします。

なので黒枠が全て回想シーンだとするのは違うんじゃないかなと思います。

ライドウ君用に作ってたなら矛盾はなさそうですが、そもそも阿波連さんが一切出てこない回もあるのでやっぱり違うんじゃないかなと。

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別視点説

じゃあ何のための黒枠なんだよ?と考えてみた結果たどり着いたのが「別視点説」です。

これは黒枠の部分は「阿波連さん以外の誰かの視点」の物語という説です。

全ての話を見返したわけではないので確証はありませんが、

基本的に阿波連さんのモノローグってほとんどなかったですよね?

ライドウ君を中心としてみんなバリバリ妄想を垂れ流している中、阿波連さんだけモノローグがない。

私が136~137話で感じた違和感の正体は黒枠から白枠に変わっていたことだけではなく、

「阿波連さんがよくしゃべっている」という事も一因だったのかもしれません。

137話でライドウ君が「阿波連さんが学校に来ない理由」を想像しているシーンで、

いつもなら長文で爆発するはずの妄想が1コマの絵だけで終わっていることも、

阿波連さん視点に切り替わったことを表現しているんじゃないでしょうか。

降りるバス停を寝過ごして海辺で独り言を言っている阿波連さんは、これまでの彼女の雰囲気と違って見えます。

これはこれまでの「他人から見た阿波連さん」ではなく、「本当の阿波連さん」なんじゃないでしょうか。

感情を出して自分の言葉でライドウ君に本心を伝える阿波連さんの姿には、なんかぐっとくるものがありました(´;ω;`)

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おわりに

まぁ正直この漫画はキャラがたってて面白いので、考察や複線なんか気にせずに読んでもいいと思います。

実際私は今の今まで黒枠に気づきませんでしたからねw

なんかそろそろ最終回が近づいている気がして悲しいですが、アニメが始まるのでそれは楽しみです(*´ω`)

では。

追記:138話で阿波連さんが作成していたのは友達との想い出の映画だという事が判明しました…んで阿波連さんが「自分で撮ったり友達からもらった画像や映像をつなぎ合わせて作った」という旨の発言があったので、確かに黒枠は回想シーンだったととらえても問題なさそうです…
が、しかし!139話・140話でまた黒枠に戻っていて、阿波連さんのキャラ・ライドウくんの妄想も通常営業になっていたのでやはり黒枠が回想シーンだという説は違うのかな、と思います(また新しい未来から見ての回想シーンに入ったとも考えられますが…)。

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